大大阪時代の美術のうねり 信濃橋洋画研究所の足跡 (日本経済新聞)

大阪市が面積や人口で東京市を抜いて日本一となった大正末から昭和初期の大(だい)大阪時代。中心部の西区信濃橋交差点付近に創設されたのが信濃橋洋画研究所だ。兵庫県芦屋市で開かれている展覧会では研究所が果たした役割を再評価。大阪から巻き起こった洋画のうねりを見つめ直している。 大正後期。東京には東京美術学校、京都には関西美術院という洋画教育機関があったが、大阪に大きな機関はなかった。そんな状況を一変さ….

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